発行:Funahasi.Com & 北海道経済産業新聞運営委員会
Last UP Date:2014-06-29
Interview・植松努氏・(株)植松電機専務取締役
/2004-12-06
電磁石から宇宙産業まで
機動力こそ中小企業の命
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(株)植松電機は、芦別市内の炭鉱関連の電気技術者だった植松清氏が1999年10月に設立した。現在は、土木作業用重機にアタッチメントとして取り付ける電磁石の製造が主業務だが、NPO法人北海道宇宙科学技術創成センター(HASTIC)の法人会員として、現在開発中のロケット、CAMUIシリーズのエンジン部の開発も担当し、敷地内には2005年3月の稼動をめざして無重力実験施設も建設している。新しい企業に見えるかも知れないが、その源流は、植松清氏が炭鉱を退職した1962年に興した、自動車電装機器の修理業に始まる。同社には戦後60年近くになる変転の歴史と、変化を進んで受け容れる遺伝子がある。
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――CAMUIロケットのエンジン部を開発されていますね。
植松 はい。従来のCAMUIロケットは、ハイブリッドロケットエンジンの技術実証機として推力約50kgf級・目標高度1kmのエンジンを搭載していましたが、現在開発中のものは、推力400Kgf、目標高度65kmを目指しています。現段階では、燃料形状を変化させながら、最適な形を導き出すために、推力70kgf級の実験モデルを製作し、数度にわけて噴射試験を行っている状態です。
――目標高度65kmとなると、どんな用途になりますか。
植松 高度1kmであれば、大学の研究室レベルでの実験に使用する程度ですが、高度65kmと言えば、気象観測ロケットが到達する高度に相当します。低コストで飛ばせるCAMUIロケットの実用範囲は各段に広がりますよ。
――最終的には軌道投入まで考えていますか。
植松 さて、そこまでいくとどうなるか(笑)。一応、最終的な目標高度は110kmに設定されていて、今後10年以上研究開発が続く大プロジェクトですが、衛星の軌道投入まで行けるかどうかは、いまのところ何とも言えませんね。
――HASTICに関わりをもたれたキッカケは何ですか。
植松 当社で開発中だったダクテッド・ファン型航空機の航空力学的特性のアドバイスを頂きたいと思って、HASTICの秋葉鐐二郎理事長を紹介して頂いたのが最初です。その後、CAMUIロケットの開発者である北大工学部の永田晴紀助教授に紹介して頂き、HASTICの専務理事をされている北大工学部の伊藤献一教授や無重力実験施設の藤田修教授ともお会いしました。出会った最初の頃は、かなり長い時間、皆で話合ったものです。ほんの1年くらい前の話ですが。
――それで、敷地内に無重力実験施設を。
植松 そうです。土地だけはありますしね(笑)。周囲に家畜も少ないので、騒音が出るロケットエンジンの噴射実験もここでやっているわけです。
――いつ頃完成する予定ですか。
植松 いまは整地作業にかかっています。間もなく50mの落下塔を建設し始めますから、来年3月頃には稼動できる状態になるだろうと思います。
無重力実験施設の規模は約3秒。世界でも3秒という長さは日本やドイツ、アメリカにある程度という有数のものになります。じつは完成後、すぐにNASAの火星探査計画関連の実験予定が目白押しになっています。世界的に無重力実験施設は不足しているんです。
――上砂川にあった10秒級の無重力実験施設は、昨年3月に閉鎖されました。
植松 法的な問題でこじれていると聞きました。じつは上砂川の施設は、炭鉱跡をそのまま利活用して建設されたため、底地に鉱山法の適用を受けるのだと聞いています。鉱山マチではどこも似たようなものですが、もともと三井上砂川鉱では町に寄付したと主張しており、町では受け取っていないと押し付け合いをしている土地なので、通常の手段で復活させるのは難しいんでしょうね。特区申請するなど、解決方法はさまざまにあると思うんですが、残念な状態です。
――それにしても、実験の様子を見ていると、部品の修正加工や補修などの反応が早いですね。
植松 これこそ、中小企業の得意分野です。中小企業の工場というのは、生産設備であると同時に、研究開発施設でもあるわけです。問題が発生すれば、すぐにその場で修正していく技術が必要不可欠なんです。
生産効率が悪いといってラインの効率化に励む中小企業もありますが、そうすると新規事業や商品開発に投資できる部門までなくす結果になりかねない。当社は生産ラインをアウトソーシングして、本社にはこういう工場があれば良いと考えていますよ。
そういう意味では、ロケットエンジンの開発も、研究開発への投資というわけです。社員のモチベーションは向上しますし、他の製品開発などにもさまざまなアイデアが生み出される。こういう事業への参加について、事業多角化や業態拡大と受け取られがちです。そういう面もありますが、当社としては本業に対して充分な投資回収を行っているつもりです。
――実際、事業多角化には積極的に見えます。
植松 当社自体、炭鉱の電気技術者から出発した父が創め、自動車の電装修理事業、電磁石メーカーへと移り変わってきた歴史を持っています。僕自身も、自動車修理だけではなく電磁石、それだけではなくロケットや衛星というように、中小企業は重ね着することで経済状態の変化に対応するのが方策だと思っています。もし不要になったら、重ね着したものを脱げばよいわけですから。じつは工場というのもそのための設備であり、研究開発する課題や能力を失ったり、ほぼ単一の製品を効率良く造るだけにしたくないというのも、こういう考え方からなんです。
――ところで、本業の電磁石は売れていますか。
植松 1995年の発売当初は年間数個でしたが、今年は年間300個以上売る予定です。アタッチメントメーカー向けにOEM供給しているのは当社だけですから。
もともと炭鉱でモーター修理などをしていた父が、そのときに得たコイル巻きの技術などをベースに改良を重ねてきた商品ですから、製品的にはノウハウの塊です。知的財産化して保護しつつ、製造各社にアライアンスを振り分けて、ノウハウの流出には充分留意しています。じつは私も前職の航空機設計職時代に、開発プロジェクトなどで知財管理やマネジメントをたたきこまれました。
――なるほど。前職では何を開発していましたか。
植松 空を飛ぶものです。HOPEや、HFLEX、ALFLEXなどの日本の宇宙開発にかかわっていました。HASTICの計画に参画した当初は、前職の知識をいかして、ロケットのアビオニクスや空力設計などに関わっていたんですが、現在の仕事の金属加工技術がエンジン開発に役立つと思い、「エンジンをやらせてくれ」といって、いまの開発プロジェクトに関わるようになったんです。
――では、楽しんで実験もされていますね。
植松 当然です。僕が外出中に実験スケジュールが入っていて、携帯電話がなかなか鳴らないとなると、失敗したんじゃないかとか、いろいろ想像してしまって気になって仕方がない。
我が子が生まれたときよりも緊張しますよ(笑)。
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ハイブリッドロケットによる宇宙産業は、北海道独自の産業として大きく成長する可能性を秘めている。と同時に、関わる開発者たち自身には、苦労だけではなく、この上ない楽しみを与えているようにも見える。
「子どもたちの世代に、少しでも大きな夢が持ち続けられるような社会が作れればいいと思うんです」
と、植松氏は言う。
植松氏自身も、いずれの日か、自分たちが開発に関わったロケットが虚空に向けて飛ぶことを夢見て実験に励む。その姿は、無我夢中で目標を追いかける少年そのものだ。そしてこれこそが、赤平の地にモノづくり企業を生み、支えてきた遺伝子の為せる業なのだろう。
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うえまつ つとむ 1966年8月17日、芦別市生まれ。1989年、北見工大応用機械工学科卒業後、菱友計算(株)航空宇宙統括部に入社。1994年5月に退社し、植松電機入社。98年コンクリートリサイクルに関する特許を取得し、99年に株式会社法人へ改組とともに現職。2000年8月、同社赤平工場を建設し、同所へ本社を移転。
写真:上:植松努氏 写真:中:農作業支援用に開発されたダクテッドファン航空機 写真:下:実験する学生スタッフに混じって作業を行う植松氏
拝 映輔
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