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Last UP Date:2014-06-29
新説わらしべ長者 ~第三話~/2005-03-13
「このままではいけない。なんとかしなければ。」
 青年は思いつづけていた。一ヶ月、二ヶ月と時はずるずると過ぎていく。とはいえ、境内での一種の御守販売のような仕事を簡単に辞めるわけにいかない。これで、ようやく、母を食べさせ、使用人に給与を払い、何とか生活は出来ているのだ。
 とはいえ、寺の境内というのは非常に時代の先端情報に触れる機会も多い。いわば、この時代の大学や研究所のような場所だ。しかも、奈良の名門、長谷寺の分寺だ。御守売りとはいえ、商売の会話の中で色々な時代の流れを聞くことが出来る。
 商業、軍事、政治、算術、そして医療。そうした会話の中から聞こえてきたのが、鎌倉では入手の難しい薬剤の話である。それは、平安初期に日本に入ってきた、蜜柑といわれるものだ。
 今でこそ、蜜柑というのは我々にとって日常食のような代物と化していて、各家庭でもダンボールで買い込むこともあろう。ところが、平安時代から江戸時代にかけては、薬であり九州などの温暖気候の地域でしか育ててはいなかった。当然、流通コスト等を考えると非常に高価であったことは想像に難くない。
「やはり風邪(ふうじゃ)を治すには、蜜柑が必要か。」
「しかし、どうやって取りにいくかだ。」
こんな、医をつかさどる僧侶たちの会話が聞こえてきた。当時、蜜柑、もしくはそれに類する柑橘類は、九州のほか京都にも植えられていたようである。とはいえ、大農場というわけではなく、現代と比すれば少量生産だ。

「京まで取りにいけば、儲かる。」
 青年は考えた。同時に葛藤も生まれた。
「京までいっている間、商売が出来ない。家のものが食えなくなる。」
「京にいけば、形見や刀を取ってこれるかもしれない。」
「京で見つかれば、政争の負けた陣営に属していたのだ。それ相応の処罰がありうる。」
 だが、青年には商売としての勝算はあった。まず、そもそも武士である。そんじょそこらの商人より、早く馬を駆けることは出来る。その上、道中の盗賊程度であれば十分打ち倒す自信もある。しかも一度成らず、貴族の小競り合いのたびに上洛しているのだから都の往復であれば、やれる。あとは、入手の方法であるが、地元鎌倉だけとはいえ、僧侶という知識人階級に顔が利くのだ。商人としての、紹介状の一つ二つは用意してくれる。
 そもそも、彼らは欲しているのだ。蜜柑という特別な薬を。しかも、京に上る絶好の機会だ。うかうかしていては、他の商人が蜜柑を、この鎌倉に持ち込むようになってしまい、商売としてのうまみどころか、紹介状一つ書いてはもらえないだろう。
 青年は意を決した。蜜柑を運ぼう。しかも鎌倉では近年、風邪が流行っている。上流階級はこれらの治療の費用には糸目を付けないだろう。
 青年は、顔見知りの僧侶から、医術の心得があり、蜜柑を欲する高僧を紹介してもらった。高僧がいった。
「あなたが、都を往復するのですか?」
 青年は、過去のいきさつを語った。そして往復には自信のあること、京には形見があるので取りに行きたいことを語った。
「それでは困ります。」
 即座に、高僧が答えた。要するに、政治色とは関係なく蜜柑を入手してもらいつづけねばならず、一商人としてなら紹介状を書くというのだ。高僧は気遣いつつも青年をたしなめた。
「お気持ちは分かりますが、形見や刀を携えてくる余裕もないほど、蜜柑を頻繁にとってきて頂きたい。」
 そこで、青年は妥協した。薬商人としての紹介状を書いてもらった。名前も商人風に改めた。そして、薄商いの中、わずかながら貯蓄した全財産を、蜜柑を仕入れるための資金として用意した。家中のものには相談は出来ない。まさに、いい年をして自分の全財産を持って家出するようなものだ。京へ蜜柑を入手するために旅立った。

この作品はフィクションであり、実在するいかなるものとも関係はありません
舟橋正浩
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