悩む青年のもとに、あの豪族から使いが来た。先日の蜜柑の件でお礼をしたいという事である。気分は浮かないが、非礼をするわけにもいかない。青年は豪族の屋敷を訪れた。豪族の長は、青年に言った。 「このたびは、大変ありがたかった。蜜柑のような高価なものを確実に届けられるのであれば、うちの調庸の運搬をお願いしたい。高僧たちの仕事が多くお忙しいかも知れんが、何とかならないか。」 まさに渡りに船だ。調庸はいわば税として京にお収める反物。行きはこれを積んで、京に行って宮中に納める。帰りは、僧侶連中から注文を受けた薬品やら、文献やらを積んでくる。これなら、赤字にならずやれる。 「ぜひ、やらせて下さい。必ず京まで反物をお届けします。」 青年は、自分が生き残ったことを実感した。しかし、事はそんなに簡単な話しではない。なぜなら、今までは一騎だけで運ぶ、少量高速の輸送を行ってきた。ところが、今度の反物輸送や薬の輸送となると多少スピードが無くとも、大量に輸送することで利を得なければならない。 もはや一人で商いが出来る状態ではなかった。馬も人も雇わねばならない。しかもそんな資金はない。蜜柑の赤字で、すっからかんなのだ。青年は、そこで諦めなかった。 京の商人仲間で、馬を数頭持っていて、東国の往復を嫌がらない人間をパートナーにしたのだ。運ぶのは、その京の商人がもつ一団。そして、道の案内、段取り、護衛を青年が引き受けるというスタイルを考えたのだ。そして、儲けに応じて、お互いに利ざやを分配する方法にした。利益の一人占めは出来ないものの、青年にとって手堅い商売が可能になった。 一月ほど、調庸のための反物ばかりではなく、京という市場向けの様々な特産品などを継続的に受けていった。まさに東国流通の権益を一手に握りつつあった。非常に、狭い範囲とは言え、鎌倉商人の中でも成功者の部類となりつつあった。 一緒に組んだ、京の商人は非常に喜んだ。今後開発されるであろう、東国の流通に入り込め、十分な利を稼いだのだ。益々、この商売にのめり込んだ。他方、青年は、この商人ほど、喜んではいなかった。来年の蜜柑のための、資金も生活の蓄えも、新しい商売によって僅かな間で十分稼いだ。だが、あれ以来、京の屋敷が忘れられない。何としても、あの屋敷に入り込み、残してきたものを取り戻さねばと。一時の方便で名を商人風に改めたが、このままでは、本当に商人になってしまいそうだ。 「一度、きちんと名乗ってあの屋敷を訪問するか。」 男はそうも考えた。しかし、鎌倉長谷寺で政治状況を収集する限りにおいて、青年の父が味方していた貴族は失脚したままで、その政敵が相変わらず公家社会で幅をきかせているという。そうであれば、名乗るのは危険だ。そんな葛藤の日々のなか、京の商人が、青年にある提案をした。 「西国にも進出しないか?東国で成功してるんだ。同じやり方でうまく行くだろう。」 まさに、青年が思い描いていた、商売だ。今、手をつけておけば来年の蜜柑のシーズンにはさらに稼げる。だが、西国は東国と違い古くから開発されており、流通の利権を持っている多数の人間が存在しているはずだ。しかも青年のような武士上がりのにわか商人ではない。商人としては百戦錬磨だ。 「まずは、しばらくどちらかが西国に入って色々調査しないか?売り先にせよ買い付け先にせよ、僕らには何のつても無いだろう。」 と、青年はパートナーである商人に言った。商人は、その提案を受け入れた。 「分かった。東国の道も分かってきたし、お客ともある程度、顔なじみになってきた。君抜きでも決まった商品の売買だけなら何とかできる。更なる成功のために、西国に行ってくれないか。」 青年は西国へと旅立った。青年は始め、自分の目の利く蜜柑を求めて、九州を目指した。しかし、道中は非常に長い。 当時は租庸調という税制が敷かれていた。各領地からは物納で、各種の名産品を送っていた。そもそも、平安の初期において、政治の不安定により貨幣価値が安定しないというのもその原因であった。そのため、こうした物産は地域での消費のほか、税の支払いとして利用されていたのだ。しかし、平安朝も安定しており、通貨による売買の対象として、こうした名産品も価値が増大しつつあった。 まさに、鎌倉と京の間での商売を通じて、金銭で租庸調のうち、東国の反物、調庸を流通させてきた青年にとって、そこには商機が満ち溢れていた。しかも、青年が思うほど、こうした名産品流通において、道中の諸国で、商売人が権益を確保してはいなかった。習慣として金銭の取り引きの対象としても、取り扱われていなかったのだ。ただ、流通において西国の武家が力を発揮し、したたかに権益を保持していた。 「租庸調で収める分以外の名産品を買い付けて、かの商人に京に運ばせよう。貴族も、天皇に下賜されるだけではなく、自分の力で入手したいものもあるだろう。ならば、こうした名産品を持つことは宮中の貴族にとっての一つのステータスになるだろう。おそらく、十分に売れる。それに、西国諸国も活性化するのだ。少しぐらい京で販売しても、西国の武家も反発しないであろう。」 青年が、宿でそう考え、書面を、パートナーの商人にしたためていた。まさにその時である。一つの訃報が、青年に届く。鎌倉で仕事を任せてきた商人の死を伝えるものであった。 この作品はフィクションであり、実在するいかなるものとも関係はありません
舟橋正浩
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