事件あらましは、こうだ。青年が西国への調査に旅立った後、調庸の輸送という大事を豪族が頼んだ。青年はいないものの、後事を託した商人が京へと輸送した。まさにその道中、盗賊の一団にその商人の一行が襲われたのである。腕に覚えのある、青年であれば、追い払える程度の盗賊であるし、事実、今までその手合いは全て、なぎ払ってきている。それどころか、状況に応じて安全な経路を選択することも、地元で情報網を持つ青年にはできたはずである。それらを怠ったばかりに、結果として、商人は死に、調庸として収める反物を奪われたのだ。 「これは大変なことになった」 青年は、調査を中断し急ぎ鎌倉に戻った。これでは折角考えた、西国での新商売の夢も崩れてしまう。それどころか、今の商売がどうなってしまうのか。あの商人が一団を組んで、大量の調庸を運べるからこその商売なのだ。戻りの道中、青年は、商人の死を純粋に悲しむだけという訳にはいかなかった。今とこれからを考えなければならなかった。 自分の屋敷に戻ると、そこには見慣れぬものがあった。数頭の馬と商人の小僧だ。襲われた後、ほうほうの体で、集められる限りの馬を集めて逃げ帰ってきたのだという。 「最後まで、荷の調庸を守ろうとして、刺されてしまいました。」 小僧が主人である商人の最後を、ぽつぽつと語った。慣れぬ鎌倉で、調庸の輸送のための護衛を集めたという事や、経路も為しうる限りの努力をしたのだという。だが、東国に来るようになってわずか一ヶ月程度だ。護衛に雇ったものが、盗賊と通じていたらしく、あっさりと裏切られ、落命してしまったという。 屋敷でそうこうしているうちに、荷主である豪族から使者がやってきた。 「至急屋敷までお越しください」 使者に促され、急ぎ豪族の屋敷に向かう。そこには、無表情な豪族が待っていた。 「どうしてくれる。調庸が届けられなかったではないか。京から、これを口実に軍勢が上ってきたらどうしてくれる。これ以上、貴様とは付き合えん。」 豪族はまくしたてた。しかも、豪族から見れば、青年の西国調査など、ただの物見遊興でしかない。いわば、大事な仕事を任せた時に遊び呆けていたのだ。また、調庸を収めるという事は、京の中央政府に従う意思の表明であり、これを届けなければ、反逆の意思表示だ。豪族の命運に関わる。私財をなげうって弁償するだけではすまない。 豪族からの制裁は徹底を極めた。結局、調庸すなわち反物の流通のみならず、東国で今まで取り扱いの出来た様々な品の権益を失ってしまった。そして、当然、荷物の保険などという概念も無い時代。荷物の損害を全額、自分の蓄えで払うしかない。蜜柑の取り引きにと、溜めた全財産を失った。そればかりか、武家として失った名誉に加え、商人としての信用を更に失ってしまったのだ。おまけに様々な噂話や嫌がらせを受け、事実上鎌倉には住めないところまで、追いつめられたといってもいい。相手は、それだけの力のある豪族なのだ。 青年は、鎌倉を去る決意をした。これが最後と、今までお世話になった、鎌倉長谷寺の僧侶のもとを再び訪れた。まさに、この僧侶が、一ヶ月この男に商業の知見を教え込んだのだ。没落武家のボンボンが、一時は飛ぶ鳥をも落とす勢いの商人に変貌したのだ。 「大変お世話になりました。ご存知のように、私は無一文です。約束の講義代もお支払いできることが出来ずに、鎌倉を去らねばなりません。今度こそ本当に無一物です。」 青年は苦笑しながら、僧侶に言った。僧侶は問う。 「本当に、無一物ですか。」 青年は答えた。 「家族も使用人も捨てて逃げるのです。まぁ、京に知人の馬と小僧を連れて行くので、道中さびしくない程度でしかありませんが。」 笑いながら僧侶は言う。 「小僧と馬はどうなってしまうのですか。彼らとて京に戻ってすぐには生活の糧が無いでしょう。あなたが彼らの主人になれば良い。」 青年は考え込んだ。なるほど、馬の所有は死んだ商人のものだし、小僧とて何らかの身寄りのあるもではあるまい。京に戻る道中、小僧から死んだ商人の身寄りや、本人の身寄りについて話しを聞いた。一応、商人には身寄りが無く、数人の使用人が小僧を含めているだけということだ。 とりあえず、京の死んだ商人の家に行くことにした。取り残された使用人もいることであろうし、馬と小僧の扱いについても彼らと協議せねばなるまい。京につくと、それが杞憂であることを知った。商人の家はもぬけの殻だった。商人の死を知るやいなや、すべての金目のものを持って、使用人たちは逃げていたのだ。 「なんということだ。京の人間は義というものを知らぬのか。」 青年は、鎌倉に置いてきた、自分の使用人と比べずにはいられなかった。家が没落しようとも、金を持ち逃げ同然にもって蜜柑を買い付けに行った時でも、年老いた母を見捨てず、私財を盗まず、まじめに勤め上げていたのだ。 ともあれ、青年は小僧と馬をどうにかせねばならなかった。 「これからどうする。空っぽのこの家に住んだところで誰にも文句は言われまいが。」 青年は、小僧に問う。小僧は呆然と答えた。 「そんなことをいわれても、馬の世話しか知らぬ私にどうしろというのですか。」 青年は、雨風をしのぐために、この死んだ商人の家に、小僧と共に入ることにした。何も無いとはいえ、住む場所を確保できたのだ。 この作品はフィクションであり、実在するいかなるものとも関係はありません
舟橋正浩
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