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Last UP Date:2014-06-29
取材ノートから・ゆうばりファンタスティック映画祭~恒例・ストーブパーティ考~
/2006-02-25
2月25日、夕張市民会館前で映画祭恒例となる夕張市民有志主催の「ストーブパーティ」が開催された。入場自由、ただし飲食代はカンパ形式での支払いが必要という運営形式で、会場には石炭ストーブとバーベキューグリルが並べられ、魚介類や酒、肉や汁物などが来場客に振舞われた。
ゆうばり国際ファンタスティック映画祭は、1990年に東京国際ファンタスティック映画祭の姉妹映画祭として第1回開催を迎えた。当時は、衰退の続く石炭産業に代わる産業基盤を模索し、観光産業の強化を夕張市一丸となって試行している時期であった。開催当初は、悪化し続ける自治体財政にいつまで継続できるものかもわからず、表題に「冒険」の2字をつけて、「ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭」と称していた。
この企画を主導したのは、当時夕張市長であった故・中田鉄治氏。中田氏は無類の映画ファンとして知られており、市の公共施設にはスクリーンを設置し、映画祭には実行委員長として参加し続け、開会宣言では独特のかけ声を披露して有名になった中田氏の熱意が、これまでのゆうばり国際映画祭開催を維持してきた側面が確かにある。
同時に、夕張市民も有志参加として積極的にこの映画祭を支援してきた。このストーブパーティをはじめ、過去には女性会館で映画祭期間中に開催されてきた「みんなの家」事業も、夕張市民有志の熱意がなければ、決して行われることのなかったものだろう。
これらの有志参加事業には、参加スタッフの労働加重のアンバランスや実行委スタッフとの連携のとりにくさなどから毎年問題が発生しているものの、この時期にゲストとして夕張に来訪する映画関係者らから見れば、「アットホームな夕張」の空気を醸し出す最大の要因であり、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が維持されてきたことの最大の功労者であろうことは間違いない。言うなれば、このストーブパーティこそが映画祭最大の魅力であり、この場に温かみが残される限り、ゆうばり国際ファンタスティック映画が続くような、そのような大事な場にも思えるのである。
表題から冒険の2文字が消えて7年。「100年続く映画祭にする」と宣言した初代実行委員長の中田氏が亡くなって、はや3年の歳月が経過した。
今年の映画祭には、第1回からずっと顔を出していたプロデューサー・小松沢陽一氏の姿が見えなかった。あるいはどこかに居たのかも知れないし、何となく淋しくもあるが、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭に、新たな世代によるトライアルが始まったものと思いたい。
夕張も、新しい世代による新しい映画祭へと変化し続けている。
後藤健二新実行委員長は、これらの資産を承継し、どう発展させていくのか。今年は韓国・富川との姉妹映画祭提携に調印を行い、映画祭を磐石のものにしようとしている。だが、ゆうばりの魅力は何といっても人と人のつながり、そのぬくもりである。
もし出来ることなら、ずっと未来のこの場にも、このストーブの暖かなぬくもりがありますように――、と願わずにいられない。
写真:上、左下、右下、ストーブパーティの様子
拝 映輔
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