1866年生、1868年没。 榎本らが留学に行く口実になった船。というのも、そもそも、留学ありきで彼らはオランダにいったのではなく、オランダに発注した最新の戦艦を受け取って帰ってくるのが主たるミッション。そのついでと言う訳ではないだろうが、そこで留学団を編成し、オランダ入りさせてた。 榎本をはじめ、留学生一行にとって非常に愛着のある船だったようだ。しかしながら、開陽丸自体は最新鋭といいながら、当時の軍用艦は鉄製が主流になりつつあったなかで、木製の船。そう考えると、言われるほど最新鋭であったかどうかは考えものではある。 軍艦としての開陽丸もさることながら、そのオランダからの積荷も興味深い。積荷リストが「榎本武揚未公開書簡集」で確認できる。 武装もさることながら、ネットで酒のコラムを書いていた筆者としては、その部分だけでも抜き出して記載したい。赤ボルドー 50本入り、18箱 ドイツワイン、ホッホハイマー 50本入り、3箱 ドイツワイン、ルーデスハイマーベルグ 50本入り、3箱 シェリー 50本入り、1箱 ポートワイン 50本入り、1箱 各種良質ワイン 50本入り、2箱 シャンペン 30本入り、3箱 コニャック 30本入り、2箱 ジャマイカラム 30本入り、2箱 ビール 750本 ジン 1328L+48本 ビショップ 6本 リキュール 12篭 キルシュ 3本 アニゼットリキュール 6篭 赤アニゼットリキュール 6篭 シャルトリューズリキュール 3篭 ヴァーニアリキュール 6篭 オレンジキュラソー 6篭 クラジオリキュール 18篭 ドント 6篭 ハンガリーリキュール 6篭 ワインとビールだけではなく、ブランデーやジン、ラム、各種リキュールと実に多彩な御酒を買い付けたものである。これだけ容積があればもう少し武器かなにか積めるんじゃないかとか思うが、そこは留学生の趣味だったのか、回航させるオランダ教官団の趣味だったのか。それにしても、このビールは一説にはハイネケンビールと言われていて、ハイネケンを海外に輸出したのは公式の輸出記録よりはるかに古く、これが初めてになるという説もある。 ちなみに日本にやってきた開陽丸は、慶喜が大阪城からトンズラをするときに使われ、挙句に、徳川家の駿府移住の輸送船として活用。さらに、函館戦争ではその序盤で、その破壊力を発揮することなく江差沖に沈んでしまう。のどから手が出るほど海軍力が必要だった奥羽越列藩同盟にしてみれば噴飯ものであったようだ。日本の軍事上の歴史に良くある「宝持ち腐れ」のはしりともいえる。
舟橋正浩
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