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Last UP Date:2014-06-29
うきうきして候-開陽丸-/2006-05-19
 1866年生、1868年没。
 榎本らが留学に行く口実になった船。というのも、そもそも、留学ありきで彼らはオランダにいったのではなく、オランダに発注した最新の戦艦を受け取って帰ってくるのが主たるミッション。そのついでと言う訳ではないだろうが、そこで留学団を編成し、オランダ入りさせてた。
 榎本をはじめ、留学生一行にとって非常に愛着のある船だったようだ。しかしながら、開陽丸自体は最新鋭といいながら、当時の軍用艦は鉄製が主流になりつつあったなかで、木製の船。そう考えると、言われるほど最新鋭であったかどうかは考えものではある。
 軍艦としての開陽丸もさることながら、そのオランダからの積荷も興味深い。積荷リストが「榎本武揚未公開書簡集」で確認できる。
 武装もさることながら、ネットで酒のコラムを書いていた筆者としては、その部分だけでも抜き出して記載したい。

赤ボルドー 50本入り、18箱
ドイツワイン、ホッホハイマー 50本入り、3箱
ドイツワイン、ルーデスハイマーベルグ 50本入り、3箱
シェリー 50本入り、1箱
ポートワイン 50本入り、1箱
各種良質ワイン 50本入り、2箱
シャンペン 30本入り、3箱
コニャック 30本入り、2箱
ジャマイカラム 30本入り、2箱
ビール 750本
ジン 1328L+48本
ビショップ 6本
リキュール 12篭
キルシュ 3本
アニゼットリキュール 6篭
赤アニゼットリキュール 6篭
シャルトリューズリキュール 3篭
ヴァーニアリキュール 6篭
オレンジキュラソー 6篭
クラジオリキュール 18篭
ドント 6篭
ハンガリーリキュール 6篭

 ワインとビールだけではなく、ブランデーやジン、ラム、各種リキュールと実に多彩な御酒を買い付けたものである。これだけ容積があればもう少し武器かなにか積めるんじゃないかとか思うが、そこは留学生の趣味だったのか、回航させるオランダ教官団の趣味だったのか。それにしても、このビールは一説にはハイネケンビールと言われていて、ハイネケンを海外に輸出したのは公式の輸出記録よりはるかに古く、これが初めてになるという説もある。
 ちなみに日本にやってきた開陽丸は、慶喜が大阪城からトンズラをするときに使われ、挙句に、徳川家の駿府移住の輸送船として活用。さらに、函館戦争ではその序盤で、その破壊力を発揮することなく江差沖に沈んでしまう。のどから手が出るほど海軍力が必要だった奥羽越列藩同盟にしてみれば噴飯ものであったようだ。日本の軍事上の歴史に良くある「宝持ち腐れ」のはしりともいえる。

舟橋正浩
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