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Last UP Date:2014-06-29
うきうきして候−御用火事−/2006-08-04
 明治5年4月に、開拓使大判官だった岩村道俊が指揮して札幌市内の茅葺の小屋を全て焼き払った事件。
 この事件に顛末については諸説があるが、経緯としては札幌本庁開拓ということで、明治4年からはじめた入植の際に、家屋の建築費の助成と木材の安価な払い下げをセットにした政策を行ったが、効果がついぞ上がらなかったのが事の始まり。この政策で岩村判官が狙ったのは、札幌の中心市街地にすばやく住民が移転してきて、北海道の冬を越せるちゃんとした建造物が立ち揃うことだった。ちなみに本建築の家は当時のお金で大体300円程度で立った。
 しかしながら、はじめの段階は助成金審査が甘く、男女二人連れでくれば、その助成金額に相当する100円がすぐ貰えたらしい。現代でもちゃんとした家が3000万円程度で建つという考え方であれば、1000万円程度が手渡しでもらえたということになる。
 そのために、女性をお金で雇って連れて行き申請して簡単にお金をもらう輩がでてきた。その雇い賃の相場が2円と決まっていたほど、当たり前のことだった。そのもらった100円で、安い丸太数本と草で屋根を葺くことで安い家を建て、余ったお金で遊んで暮らした。そのため、札幌の市街地には草葺の仮小屋があふれる結果になった。流石にその政策も後半は、ちゃんと家が出来たかどうかの検査も行われたようだが、だます方もさる者で、モデルルームのような1軒セットのレンタルまで行われた。このセットで、まず家を作って、役人を呼んで検査をしてもらい、その後撤去して、普通の草葺屋根の家を建てるという作業だった。このモデルルームレンタル料を払っても、十分遊んで暮らせる金額は残ったらしい。
 こんな状態で、岩村判官のもくろみは崩れ、札幌市街には、開拓のやる気のない住民と火事ですぐ燃えるような冬の越せない草葺の小屋であふれ返ってしまった。

 政策の失敗の腹いせなのか、再開発の邪魔になったのかはわからないが、草小屋があふれているのは不味いということで、札幌の草葺小屋に官僚が放火して、全て燃やしてしまった。
 一応、公式の記録では、「開拓使の建築物の中にも草小屋があり、開拓使の所有の草小屋を燃やしてしまって、草小屋はだめなんだと模範を示そう」と言う理由で、開拓使のものだけ燃やして、市街地には一切延焼しなかったとはなっている。
 しかし、現実には、開拓使内の草小屋に放火した分が、風に吹かれ延焼していったらしい。また、目撃証言等によっては「八尺くらいの白木綿に御用火事という旗を立て、(岩村判官)自ら人夫を指揮してわら小屋を片っ端から焼き払った」とか、片っ端から石油をぶっかけて焼いた、などとも言われている。そして、この火付けから市内で免れたのは、開拓使設置以前から住んでいる3軒だけだったそうだ。
 甘い目論見で、騙し取った金を手にし、遊んで暮らしていた当時の札幌住民にとっては相当衝撃であったようだ。

舟橋正浩
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