なにやら、札幌の雪祭りが揉めているらしい。自衛隊の協力があるとかないとかの一発言をあげつらってのことのようだ。 派兵についての賛否どうのこうのという気はないが、この手の記事の大多数の論調が気になった。暗黙のうちに、「自衛隊は札幌雪祭りを人質に言論の自由を奪う」という事を述べているように感じるからだ。私も、北海道生まれなので、子供の頃、札幌の雪祭りの雪像の素晴らしさに感嘆した事は一度ならず体験はある。特に自衛隊が製作する雪像は毎年感動させられた。 で、札幌の雪祭りにおいて、自衛隊の役割というのは、その立派な雪像を製作する事だとかってに思ってきていた。いわば市民の一人として雪を祭る行為、すなわち雪像を作るという役割のみを果たしているとかってに想像していたのだ。 しかし現実は、それでだけではなかったらしい。なんと、雪像設営のための雪の運搬等、民間に発注すると数億円かかるような作業を、無償で自衛隊が引き受けていたというのだ。要するに雪のお祭りを成立させるために必要な「雪」の用意を自衛隊が一手に引き受けていたのだ。 祭るための雪を、自衛隊が用意していたとなると、札幌の雪祭りは、市民のお祭りではなく、自衛隊のお祭りだったということになる。日本中、どんなお祭りであっても、祭るため対象物を用意したものがお祭りをする資格があるのが普通だ。 雪祭りを観光資源などといい、本当の意味で雪を祭らなかった札幌市民にたいしてツケがまわってきたということだろう。 本来、お祭りというのは、自分達が自分達のためにするものである。他人様が自分達のためにしてくれる事でもなく、自分達が他人様にする事でもない。道外では、それがどこでもあたりまえだ。 例えば、愛知県安城市には、それ程有名ではないが「安城七夕祭り」というのがある。笹の調達から短冊、飾り物、イベント等々、完全に市民の手作りである。今年50回目を迎えた。安城市はわずか16万人の人口だ。にもかかわらず、3日間の動員数は120万人もあるのだ。 120万人の経済効果は大きいかもしれない。しかし、それよりも自分達が自分達の楽しみのためにのみ行なっているにすぎない。当然、どこか大きな出資者がいるわけではないので、誰か一人、どこか一法人が抜けたところで危機に瀕する事もない。 この120万人の経済効果を当て込んで、お祭りを運営しているものは誰もいない。 黙々と自分達が楽しむためにお祭りを企画運営し、広く市民を参画させることで自分達が楽しんでいる。そして、その楽しみが面白いと感じる地域外の人が続々とやってくるのだ。原因と結果を履き違えてはいけない。 翻って、雪祭りを省みれば、常に道外や海外の客の動員をもくろみ、航空会社やツアー会社とタイアップし、稼ぎ時とばかりに張り切る輩のなんと多い事か。そういう経済効果を生み出すために、毎年、より大きな、より素晴らしい雪像を日本中、世界中のプロが作り続け、大半の市民が雪像を作る事はほとんどない。そして、その雪に関する一番基本的な部分は、只同然で、自衛隊という一国の機関に頼り切りという無責任さ。 これは「祭り」とそもそも呼べるものなのだろうか。 札幌市民はこれをいい機会と捉え考え直すべきだ。誰のための何のためのお祭りなのかを。そして、自分達が祭るべきものがなんなのかを。 加えて、他地域でのお祭りを企画運営されている方も、よく胸に手を当ててそういう事がないかを常に反省するべきだろう。
舟橋正浩
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